ティム・クック / Tim Cook
ジョブズ後のアップル最高経営責任者

概要
生年月日 | 1960年11月1日 |
国籍 | アメリカ |
居住地 | カリフォルニア州パロアルト |
職歴 |
・IBM(1982〜1994) ・インテリジェント・エレクトロニクス(1994〜1998) ・コンパック(1998) ・アップル(1998〜) ・ナイキ(社外取締役) |
年収 |
1億5700万ドル(2018年) |
資産 |
13億ドル(2015年) |
関連人物 |
ティモシー・ドナルド・“ティム”・クック(1960年11月1日-)はアメリカの実業家、産業エンジニア、開発者、現アップルCEO。以前は創立者のスティーブ・ジョブズの下、会社の最高執行責任者(COO)を務めていた。
クックは1998年3月にアップルに入社し、オペレーション担当上級副社長に付き、その後、世界販売&オペレーション担当最高副社長に就く。2011年8月24日最高経営責任者(CEO)に就任する。CEO在任中、クックは監視問題、サイバーセキュリティ(特にユーザープライバシー)、国内外の法人税、アメリカの製造業問題、環境保護など国内外の政治問題に関して提言をしている。
ティム・クックの最大功績は、同社製品の全世界規界での販売・運営・サポート体制を築き上げ、アップルのサプライチェーンのエンド・ツー・エンド管理を確立させたことである。これにより効率的なコスト管理と高品質の製品供給を安定させ、当時瀕死の状態にあったアップルの収益を改善させた。
ジョブズがいなくなったあとも継続的にアップルに莫大な利益をもたらしている。iPhoneの大型化を決断したiPhone6の発売でアップルに最高利益をもたらしたほか、その後もiPad ProやApple Watchなどもヒットを飛ばしている。
2014年クックはゲイをカミングアウト。『フォーチュン500』に登録されている会社のなかでゲイをアイデンティティとして公表する初めてのCEOとなり、より積極的にLGBT運動を推奨する会社となった。
ナイキやNFBの社外取締役も務める。2012年初頭、社外取締役から100万株の制限付き株式を授与。この制限付き株式は2016年8月24日、2021年8月24日の各日に分けて50%ずつ、クックの継続的雇用を条件に授与される予定。2015年3月に、クックは所有している株式を慈善団体に寄付する発表。
Appleの株主である機関投資家の投資責任者、マイケル・オブチョスキ氏は「ティム・クック氏は最も親切で慈善的なCEOだ」と評価。
重要ポイント
- ジョブズから正式な後継者としてアップルのCEOを任される
- コスト管理業務やサプライチェーンの確立で瀕死のアップルを再建
- 環境問題やLGBTの権利など国内政治にも深く関与
略歴
幼少期と学歴
クックはアメリカのアラバマ州モービルのパブテスト派の家庭で生まれた。小さいころはバブテスト派教会に通い、近くのロバーツデールで育った。クックの父ドナルドは造船所に勤めており、母ジェラルディーンはドラッグストアで働いていた。
クックはロバーツデールを卒業し、1982年にアラバマ州のオーバーン大学、インダストリアル・エンジニアリング学部の理学学士を取得。また、1988年にデューク大学のFuquaビジネス・スクールでMBAを取得。
キャリア
アップル以前
1982年にオーバーン大学を卒業したあと、クックはIBMのPC事業に12年間携わり、最終的には北米部門のディレクターとして成果を十分に発揮した。この時代にクリックはデューク大学でMBAを取得し、1988年にフークア・スカラーとなった。
その後、クックはインテリジェント・エレクトロニクスのコンピューター再販業部門の最高執行責任者(COO)を務め、1997年にコンパックの企業資材担当副部長に6ヶ月間務めた。
アップル時代
初期キャリア
1998年にスティーブ・ジョブズはクックにアップルへの参加を要請する。オーバーン大学での卒業式スピーチで、クックは初めてジョブズに会ったあとアップルに入社する決断をしたと話している。
「経済的な損得の面から、純粋また合理的な考えればコンパックにいるほうが良く、また、私のことを知っている人たちもコンパックにとどまるのが良いと忠告していた。1998年の初頭のある日、私は左脳ではなく、また私を最も良く知る人の忠告でもなく、直感を信じた。スティーブと最初にあって5分で私は論理を投げ捨て、アップルに入社したいと感じた。私の直感では、アップルに入社することは、創造的な天才と経営陣の1人となり、偉大なアメリカの会社を復活させる一生に一度の機会であると感じた(ティム・クック)」
オーバーン大学での卒業式スピーチ。
アップルでのクックの最初の役職は国際業務運営担当の上級副社長だった。その役割に関してクックは次のように述べている。「酪農業に従事しているときのように管理してほしい。新鮮さがなくなるのは問題だろう」。その後、最高業務責任者(COO)、および『Macintosh』部門の責任者に昇進する。
クックは工場と倉庫を閉鎖し、そこに協力会社に置いた。この結果、社内の無駄な在庫が大幅に減少。また将来におけるフラッシュメモリの重要性を予測し、クックのチームはフラッシュメモリ関連の会社へ事前投資、および長期的な取引の締結を行った。
これは、その後のiPod Nano、iPhone、iPadの製品や部品の安定した供給、いわゆるサプライチェーンを世界規模で確立させることになった。フラッシュメモリやディスプレーなどの主要な部品を前払いで大量に調達することで、価格を抑え、製造量を確保した。
クックのアップル初期キャリアにおける大きな業績はサプライチェーンの確立によるコスト管理であることは明らかであり、また会社のデザインやマーケティングへの精通が合わさり、アップルに莫大な利益をもたらした。
業界標準の部品を調達し、サプライヤーには物流ベンダーが指定する共有倉庫に納品させるようにした。生産ではプリント基板の製造やシステムの組み立てをアウトソーシングに切り替えた。流通チャンネルについても代理店、認定再販業者、小売販路パートナーを大幅削減するなど戦略を見直した。2001年からは直営店(アップルストア)の展開を開始している。
ジョブズが健康問題でアップルの業務から離れている間、2007年1月クックは経営のリーダー各に昇進し、2009年には最高経営責任者に就任した。2011年1月、アップルの取締役会はジョブズからの要請で3回目の療養休暇を承認。
この間、クックがアップルの日常業務の大部分を担い、ジョブズが最終的な決断を下していた。
アップルCEO(2011年から現在)
ジョブズがCEOを辞任し、取締役会長に就任したあと、クックは2011年8月24日にアップル社の新しい最高経営責任者(CEO)に任命された。6週間後の2011年10月5日、ジョブズは膵臓がんによる合併症で死去。
『フォーブス』誌の寄稿者ロビン・A・フェラコーンは2011年9月に次のように書いた。「1995年に110億ドルあった資産が1998年に60億ドル未満にまで減少し、死の淵にあった会社をジョブズとクックは強いパートナーシップを築いて復活させ、かれらのリーダーシップのもと今日、会社はどん底から1000億ドルという驚くべき資産に成長した」。
2012年4月、『タイム』誌が毎年企画する「世界で影響力のある100人」にクックは初めてランクイン。
2012年10月29日、クックは会社の経営陣を大規模に変更することを決める。iOSの上級副社長だったスコット・フォーストールが辞任し、2013年に退職するまでクックの顧問となった。これはジョブズがCEO退任以来の大きな出来事でもある。なにしろ一時は次期CEO候補ともいわれたスコット・フォーストールが辞めさせられたことなのだから。フォーストールが担当していた仕事はほかの4人のアップル幹部に引き継がれた。
小売担当の上級副社長だったジョン・ブローウェットは、6000万ドル相当にあたる10万株でアップルに入社するも6ヶ月で解雇された。
デザイン部門の上級副社長だったジョナサン・アイブはアップルのヒューマン・インターフェース部のリーダーに就任。また、クレイグ・フェデリギがiOSソフトウェア・エンジニアリングの新しいリーダーに就任した。
サービス部チーフのエディ・キューは「マップ」アプリやSiriの責任者となり、また以前ハードウェア・エンジニアリングの上級副社長だったボブ・マンズフィールドは新しいテクノロジー・グループのリーダーになった。
クックによる経営陣の改革は、収益と利益が予想を下回った2012年の第3四半期以降に実地された。あるコメンテンターはジョブズが亡くなって以降、同社幹部との社内政治の確執が激化してクックが限界に達した上での決断で、フォーストルは辞任を余儀なくされたと話している。
2014年2月28日、環境保護に対して強い姿勢を示すクックは、アップルの株主総会において持続可能性と気候変動に関するアップル社の姿勢を共有しないなら株を手放すべきだと株主たちに対して厳しい態度で接した。
2016年、アナリストたちは以前のマイクロソフトのCEOであるスティーブ・バルマーと比較し、2000年にマイクロソフトのCEOがゲイツからバルマーに代わったときと同じようなかんじでイノベーションは衰退するだろうと分析した。
2016年5月、中国政府によってアップルのiTunes StoreやApple Booksストアが閉鎖されたあと、クックは中国へ飛び、政府関係者と話し合った。
2017年12月、中国で開催されたワールド・インターネット・カンファレンスでクックは登壇し「このカンファレンスのテーマ、開放性と共通の利益のためにデジタル・エコノミーを発展させることが、アップルが共有するビジョンである。サイバースペースにおける共通の未来に参加するコミュニティの構築を支援するために、中国の多くのパートナーと協働できることを誇りに思う」と話した。
オックスフォード大学で発表された研究によれば、クックのリーダーシップスタイルを創設者中心主義の典型と特徴付け、創始者スティーブ・ジョブズの思想、株主たちに対する倫理的な姿勢、指数関数的価値の創造に対して焦点をあてたものであると説明した。
米国サイバーセキュリティに関するクックの姿勢
Google副社長のヴィントン・サーフやAT&TのCEOランドール・スティーブンソンとならんで、クックは2013年8月8日、バラク・オバマ大統領が開いたエドワード・スノーデンNSA事件を契機とした政府の関しやインターネットに関するクローズド・サミットに招かれた。
2015年12月にカリフォルニア州でサンバーナーディーノ銃乱射事件が発生した後、連邦捜査局は犯人ファーロックが使用していたiPhone 5Cのロック解除支援をAppleに要請した。
2016年2月16日、法務省の要請に応じて連邦判事はAppleにカスタム可能なiOSのファームウェアバージョンを作成するよう命じた。これにより捜査官はスパイによる電話のセキュリティ機能を解除できるようになった。
これに対してクックは、政府の要求は「プライバシーの侵害」であり「ぞっとする」ものであると非難した。
政治姿勢
民主党とLGBTの権利をサポート
2008年のアメリカ合衆国大統領選挙で、クックはバラク・オバマの第一期ホワイトハウス選挙を支援した。
2011年初頭までには、一般的にクックが同性愛者であると報告されていたが、2014年10月に公に話すまでは私生活については非公開にしていた。クックはLGBTの権利を公にサポートした。
2014年10月、アラバマ州名誉アカデミーは、クックの故郷の州アラバマにおけるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの権利に関する記録について話したクックに名誉を与えた。名誉アカデミーはアラバマ州が市民に与える最高の名誉である。
2015年、クックは電子書籍の価格設定と監視改革に関する立場から、民主党の上院議員チャック・シューマーとパトリック・リーヒを支援した。また、同選挙期間中クックは上院議員のロブ・ポートマンの募金活動を主催している。
2016年3月初頭、クックはカリフォルニアにおける民主党の代表ゾーイ・ロフグレンの選挙キャンペーンに貢献した。同年6月、クックは米国下院議員ポール・ライアンの講演者とともに私募金を主催した。
2016年の大統領選挙でクックはヒラリー・クリントンを応援していた。
2017年9月、ブルームバーグのグローバル・ビジネス・フォーラムで、クックは若年移民に対する国外強制退去の延期措置を支持した。クックはドナルド・トランプ政権に不満を表明した。

パブリック・イメージ
リーダーシップスタイル
アップルのCEOとしてクックは毎日午前4時半にEメールを送ることからはじまり、次の週に備えて日曜の夜に電話によるスタッフミーティングを開くことで一週間が終わる。
2013年5月、クックは自身のリーダーシップについて「人」「戦略」「行動」に重点を置いていると話した。クックは「もしこれら3つの事ができれば、世界は素晴らしいものになる」と説明している。
クックのリーダーシップのもと、アップルは慈善団体への寄付を増やし、2013年に再生可能エネルギー活動の開発支援のために、以前、環境保護庁の長官だったリサ・ジャクソンを雇用した。
プライベート
クックはフィットネス愛好家で、ハイキング、サイクリング、ジム通いが趣味であることがよく知られている。
また、クックは孤独癖があることで知られており、彼はプライバシーを守るため社外のフィットネス・クラブを利用しており、自身の私生活についてはほとんど語ることはない。クックは2014年10月、「プライバシーの基本水準」の達成を目指していると説明した。
1996年にクックは多発性硬化症と誤診されたことがある。その出来事がきっかけで「異なる方法で世界を見る」習慣ができ、また治療費を集めるためのサイクルレースのような慈善団体の募金活動に参加しはじめた。クックはのちにオーバーン同窓会会報誌に、自身の症状は「信じられないほど思い荷物をたくさん抱えている」と話した。
2009年クックは自身の肝臓の一部をジョブズに提供している。これはジョブズとクックはともに稀な血液型を共有していたためである。提供時にジョブズ怒鳴るように「あなたに絶対に提供させない!絶対に!」と叫んで答えたという。
オーバーン大学で2010年の卒業スピーチで、クックは人生における重要な意思決定をする際の過程において「直観力」の重要性を強調し、さらにその直観力を養うための準備と努力が必要であると説明した。
2014年10月30日、クックはブルームバーグ・ビジネスの論説で「私は同性愛者であることを誇りに思い、それは神が私に与えた最大の贈り物であると考えている」と自身が同性愛者であることを告白した。
また、クックは長年自身のセクシュアリティについてオープニンしてきたと説明している。多くのアップル社員の多くはクックのセクシャリティについて気づいてはいたが、このときの告白はアップルの製品に携わる人や消費者に向けてのもだと考えられている。クックは記事の最後を「我々はともに正義に向かう太陽に照らされた道を一歩一歩、舗装していく。これはその一歩である」と締めくくった。
告白後、クックは『フォーチュン500』で、初めてゲイであることをオープンにしたCEOとして紹介された。
クックは2015年3月にギビング・プレッジの契約書に署名しており、自身の資産の大部分を慈善団体に寄付するよう努めている。
2015年9月「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」に出演して、同性愛について話すティム・クック。
■参考文献
・Appleの役員について、2019年5月12日アクセス
・https://en.wikipedia.org/wiki/Tim_Cook、2019年5月6日アクセス
・Wired-Apple後継者にティム・クック氏が最適な理由、2019年5月6日アクセス
・Apple/Macテクノロジー研究所、2019年5月6日アクセス
・https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1803/08/news061_2.html、2019年5月12日アクセス
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