· 

【人物解説】ラリー・ペイジ「Google創設者で検索アルゴリズム発明者」

ラリー・ペイジ / Larry Page

Google創設者で検索アルゴリズム発明者


概要


生年月日 1973年3月16日
国籍 アメリカ
居住地 カリフォルニア州パロアルト
職業 コンピュータ・サイエンティスト、インターネット起業家
職歴

・Google(共同設立者、CEO)

・アルファベット(設立者、CEO)

学歴

・ミシガン大学(理学学士)

・スタンフォード大学(理学修士)

資産

564億ドル(2019年4月)

年収

1ドル(One-dollar salary)

配偶者

ルシンダ・サウスワース

子ども

2人

ローレンス・エドワード・“ラリー”・ペイジ(1973年3月16日生まれ)はアメリカのコンピュータ・サイエンティスト、インターネット起業家。Googleの共同設立者、前最高経営責任者(CEO)。

 

ペイジはセルゲイ・ブリンとともにGoogleを設立し、Googleのページランクシステムや検索アルゴリズムの部分を開発した人物とされている。

 

現在のペイジはGoogleを退社し、Googleの持株会社であるアルファベットのCEOである。2001年8月にGoogleのCEOを辞任し、エリック・シュミットに譲る。2011年4月に再びCEOに復帰。2014年7月に再びCEOを辞任し、Googleの資産を管理する持ち株会社アルファベットを創設し、CEOに就任する。

 

ペイジ指揮のもと、現在のアルファベットはさまざまな業界において大きな進歩を遂げようとしている。

 

2018年12月、ペイジは510億ドルの総資産を有する世界で8番目の富豪となった。また、『フォービス』誌の「ビリオネア 2019年」特集では10位にランクインしている。

 

ペイジはブリンとともに2004年にマルコーニ賞を受賞している。

略歴


幼少期


ペイジは1973年3月26日ミシガン州イーストランシングで生まれた。母親はユダヤ人で母方の祖父は後にイスラエルへアリヤーとして移ったが、ペイジはどの形式の宗教に従うかは明らかにしなかった。

 

ペイジの父親のカール・ビクター・ページはミシガン大学でコンピュータ・サイエンスの博士号を取得している。BBCのジャーナリストウィル・スメイルは父カールを「コンピュータ・サイエンスと人工知能のパイオニア」と説明しており、実際にそのジャンルを確立した人物として知られている。

 

ペイジの父はミシガン州立大学のコンピュータ・サイエンスの享受であり、ペイジの母グロリアはライマンブリッグス大学とミシガン州立大学のコンピュータ・プログライミングのインストラクターだった。

 

インタビューでペイジは幼少時代について、彼の家の中には「コンピュータ、科学、技術の雑誌とポピュラー・サイエンスの雑誌がいたるところに散らばっていた」と話しており、彼自身がそういう環境に没頭したという。

 

ペイジは若い頃、熱心な読書家だった。2013年のGoogle創設者の手紙で「私は本や雑誌の読書に膨大な時間を費やしていたことを覚えている」と書いている。作家のニコラス・カールソンによれば、ペイジの自宅の雰囲気と彼の寛容性の高い両親の複合的な環境がペイジの「創造性と発明力を育むのに助けた」と話している。

 

また、ペイジは音楽も好きでフルートを演奏したり作曲も学んだ。彼は有名なミュージックサマーキャンプ、ミシガン州のインターロッケンで開催されるインターロッケン・アート・キャンプに出席した。

 

ペイジは若いころに身に着けた音楽教育が、コンピュータでコマンドを入力したときのレスポンスの遅さに対するいらだちや執着を刺激したと話している。「ある意味で、幼少期の音楽トレーニングはGoogleのハイスピード戦略の源になったと思っています。音楽は自身の時間感覚と共鳴してる。音楽の観点から考えると、パーカッション奏者であれば何かを打つと、ミリ秒単位で反応する。そんな感覚がコンピュータにおいても私にとって重要だったと話している。

 

ペイジは6歳のときに、母親と父親が所持していた「第1世代のパーソナル・コンピュータ」の周りにあるもので遊ぶことができる環境にあったため、まずコンピュータに夢中になった。ページは「小学校で最初にワープロを使って課題を提出した子ども」であるという。

 

また、ペイジの兄は物事を分解して仕組みを理解する楽しみを教えてくれたという。ペイジは物事を分解してその中身がどのように仕組み・構造になっているか知るため、家中のあらゆるものを分解したという。

 

ペイジは「幼少期のころから私は発明欲が強かった。だから私は本気でテクノロジーやビジネスに関心を持つようになった。たぶん、12歳のときからいつか起業しようと考えていた」と話している。

 

ペイジは1975年から1979年までミシガン州桶モスにあるオケモス・モンテッソーリ学校に通い、1991年にイーストランシング高校を卒業。高校時代二夏の間をサックス奏者としてインターロッケン芸術センターで演奏した。

 

その後、ペイジはミシン大学でコンピュータ・エンジニアリングのりガクガクしを取得、スタンフォード大学でコンピュータ・サイエンスの名誉博士号を取得している。

 

ミシガン大学在学中、ペイジはレゴブロックで作られたインクジェットプリンタをつくった。これによってインクジェットカートリッジが安価に利用できるようになった。ペイジはインクカートリッジをリバースエンジニアリングして、その駆動となっている電子機器とメカニズムを知り尽くした。

 

ペイジは「Eta Kappa Nu(電気電子技術者協会)」のベータ・イプシロン支部の代表を務め、また、1993年には「メイズ&ブルー」ミシガン大学ソーラーカーチームの会員だった。

 

ミシガン大学の学部生として、彼は学校がバス通学システムをPRTシステム(個人用高速輸送システム)に置き換える提案をした。PRTシステムとは個人、または小人数の移動(3〜6人乗)の無人のモノレールである。

 

また、この時期に音楽シンセサイザーを構築するためのソフトウェアを利用する会社の設立するビジネス計画を立てていた。

博士課程と研究


スタンフォード大学のコンピュータ・サイエンス博士課程に入学した後、ペイジは論文のテーマを探す。World Wide Web(WWW)のにおけるリンク構造を巨大なグラフとして把握しようとし、その数学的性質を調べることにした。

 

彼のスーパーバイザー、テリー・ウィノグラードは、ペイジにその研究を追求することを奨励し、ペイジは2008年にテリー・ウィノグラードから今までで最も素晴らしいアドバイスをしてくれたと話している。また、この時期に自動走行の車やテレプレゼンスの研究も検討した。