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【人物解説】ジョナサン・アイブ「アップルのインダストリアルデザイナー」

ジョナサン・アイブ / Jonathan Ive

アップルのインダストリアルデザイナー


ボンディブルーカラーのiMac。
ボンディブルーカラーのiMac。

概要


生年月日 1967年2月27日
国籍 イギリス
居住地 カリフォルニア州サンフランシスコ
職業 インダストリアル・デザイナー
純資産 1億3000万ドル
配偶者 ペザー・ペッグ・アイブ

ジョナサン・ポール・"ジョニー"・アイブ(1967年2月27日-)はイギリスのインダストリアル・デザイナー。

 

現在アップル社のチーフ・デザイン・オフィサー(CDO)としてインダストリアル・デザインチームを統括。また、2017年よりロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学長を歴任している。

 

1992年のアップルに入社。10年勤務したあとデザインの上級副社長に昇進し、2000年初頭からMacBook Pro、iMac、MacBook Air、Mac mini、iPod、iPod Touch、iPhone、iPad、iPad Mini、Apple Watch、iOSなど、ハードウェアからユーザーインターフェイスまで、現在の多くのアップル製品のデザインを手がけた

 

イギリスのロンドンのチングフォードで生まれ育ったアイブは、ノーザンブリア大学でデザインを学ぶ。彼の作品はデザイン・ミュージアムで展示されたこともある。

 

卒業後、ロンドンにあるスタートアップのデザイン会社「Tangerine」で、インダストリアル・グループに配属され短期間勤務した後、1992年アップルに入社するためアメリカ合衆国へ移住。

 

アップル入社後、10年ほどPowerBookやMacのデザインに携わる。世界初の個人用携帯情報端末「アップル・ニュートン」や「メッセージパッド 110」などのデザインも手がけた。当時のアイブの上司であるジョン・ルビンスタインはアイブのアップル参加について「会社にとって歴史なこと」と話している。

 

スティーブ・ジョブズがアップルへと復帰した1996年から本格的に参加。インダストリアルデザイン担当上級副社長に就任。以来、世界で最も有能なインダストリアル・デザイナーの1人とみなされている。現在のアップル社で活躍している主要メンバーの中では、エディー・キューとともに数少ないジョブズ以前からのアップル在籍者である。

 

大学時代から現在にいたるまでアイブが影響を受けているデザインの基本はバウハウスの伝統的なデザインで、特に「形態が機能に従う」「少ないほうが良い」というデザイン哲学に焦点を当てている。ドイツのデザイナーのディーター・ラムスは、アイブのデザインは10の優れたデザインの原則に沿ったものだと評価している。

 

アイブのデザインは、カラー・ステンシル・構造・照明デザインなどにおいてドイツの高級車アウディと類似点を見出すことができる。

 

彼のエセックスなまりの重厚で多弁なスピーチは人気で、アップルの製品の紹介動画などででよく使わている。

 

5000以上の特許を取得し、2003年のデザインミュージアム「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」をはじめ膨大な数の賞を受賞している。2017年5月にロイヤル・カレッジ・オブ・アートからの要請で2022年5月まで5年間大学部長に就任。

 

2004年のBBCの世論調査でアイブはイギリス文化に影響力のある人物にランクされ、彼のデザインはアップルの成功に不可欠なものであると注目された。

重要ポイント

  • アップルのデザイン部門における最高責任者
  • iMac、iPod、iPhone、iPadの主要製品のデザインを担当
  • 3人しかいないアップル最高幹部の1人

略歴


タンジェリン時代


ロバーツ・ウェーバーで1年勤務したあと、アイブはロンドンのホクストン・スクエアにあるスタートアップ・デザイン会社「タンジェリン」に入社し、電子レンジ、トイレ、ドリル、歯ブラシなどさまざまな製品のデザイン業をこなす。

 

しかし、顧客の理想的な仕様を満たすためのビデ、シンク、トイレなどのデザインの仕事に懸命に取り組んでいたが、製品コストが高すぎすることと、あまりにモダン的なデザインだったので、上司は彼のデザイン案を次々とボツにした。このことでアイブの欲求不満は限界に近づく。

 

1990年から1992年にかけてアップル社のロバート・ブルーナーがアイブをアップルに誘っていたが、当時のアイブは出世階段を登っていたので断っていた。しかし、この頃ちょうどアップルはタンジェリンのクライアントであり、Powerbookのデザイン・ディレクションを担当していたブルーナーは、アイブにPowerBookの仕事を依頼していた。

ホクストン・スクエアにあるタンジェリン。Wikipediaより。
ホクストン・スクエアにあるタンジェリン。Wikipediaより。

アップルへ入社


アイブは1992年9月に正社員としてアップルに正式に採用された。アイブは当初、家族を連れてイギリスからカリフォルニアへ移ることに不安を抱えていた。

 

アップルに入社しての初めて大きな仕事は、世界初の個人用携帯情報端末「アップル・ニュートン」や「メッセージパッド 110」のデザインだった。1990年代初頭の初期のデザインの失敗や商業的成功がなかったため、アイブは何度もあわや退職ところまで追い込まれた。

 

しかし、1985年にほかのアップル経営陣によって社外へ追放されていたジョブズの復帰が決まったあと、ジョブズはアイブに声をかけて会社を別の方向へ向かわせたい意向を伝え、アップルに留まらせた。

 

当時アイブの上司だったジョン・ルビンスタインは、ジョブズが1996年に会社に復帰したあと、ジョブズはアップルは「歴史を築く」ことになると説明し、アイブを従業員として繋ぎとめた。

 

1997年ジョブズの復帰後、アイブはインダストリアル・デザイン部の上級副社長に就任し、次いで同社の重要ハードウェア製品の大部分を監督するインダストリアル・デザインチームを率いることになった。この頃のアイブの最初の大きなデザイン仕事はiMacだった。この仕事はのちのiPad、iPhone、iPadのような多くのほかのデザインの道を開く助けとなった

 

アイブは2014年にジョブズとの仕事上の密接な関係について説明している。

 

「私たちは初対面で、衝撃的にピンときた。すぐに理解し合うことができた。私たちがオブジェクトを見ていたとき、私たちの目が肉体的に見たものと知覚したものはまったく同じだった。そして同じ質問をして、物事に関して同じ関心を抱いていた」

 

2000年代初頭のアップルで、アイブは彼専用のデザイン・オフィスが与えられ、そこでアイブは彼のデザインチームの仕事を監督することになった。また、アイブのみがアップルのデザイナーでプライベート・オフィスを持つことができた。

 

イギリス、アメリカ、日本、オーストラリア、ニュージランド出身からなる約15人のアイブの中心的チーム(約20年協働している)と、アップル幹部のみアイブのオフィスに入ることができた。アイブは自身の子どもや家族をオフィスに入れることも禁じた。

 

2010年年代初頭、ジョブズはアイブについて「私を除いてアップルのだれよりも運営力がある」と評価した。アップルのクパチーノ本社にあるジョブズとアイブのオフィスはシングルアクセスドアを備えた隠されたビルトイン廊下でつながっていた。

 

2011年にアイブは年収3000万ドルの基本給と2500万ドルの株によるボーナスが支払われたと報じられている。

 

2012年10月29日、アップルはこれまでインダストリアル・デザインの統括者の役割に加えて、会社全体のヒューマン・インターフェイス(HI)を監督とリーダーシップを与えた告知。2013年のワールド・ワイド・デベロッパー・カンファレンス(WWDC)でアイブはiOS7の発表した。アップルの方でも彼の新しい肩書「デザイン上級副社長」のプレリリースを発表した。

 

2015年5月26日、アップルはアイブを最高デザイン責任者(CDO)に昇格させたことを発表。当時、最高経営責任者(CEO)のティム・クックと最高財務責任者(CFO)のルカ・マエストリと並んで、アップル社内に3人しかいないCレベル幹部の1人となった。

 

2017年12月8日、アップルはここ非創造的な役員の仕事に2年間過ごし、再びアイブを同社のインダストリアル・デザインの現場仕事に復帰させることを発表した。

2010年代にはアップル・パークのデザインも行った。Wikiepdiaより。
2010年代にはアップル・パークのデザインも行った。Wikiepdiaより。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アート学長に就任


2017年5月25日、2017年7月1日からアイブはロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの学長に就任することを発表した。アイブは学長として5年の固定任期として大学を統括している。

 

2017年の夏から、アイブは大学委員会のミーティングに参加や教員会議へ出席、また大学院の学位授与を行っている。アイブは次のように話している。

 

「大学がこれまで私が尊敬しているアーティストやデザイナーの多くに多大な影響を与えていることを考えると、私はRCAとの関係を公式に発表できることに興奮しています」。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アート。Wikipediaより
ロイヤル・カレッジ・オブ・アート。Wikipediaより

ミニマリストな容姿


アイブはジョブズと同じくシンプルなセンスやスタイルと自己表現を兼ね備えた「ミニマリスト」として広く認知されている。また、彼のパブリックなイメージの中で特に印象深いのは、ほぼ剃毛の頭ときれいに整えられたひげである。

 

アイブがアップルのインダストリアル・デザイン副社長に昇進した後、2001年34歳のときに初めて頭を丸刈りにし、整えられた無精ひげに整えたと言われている。その容姿は2013年の『GQ』誌の企画『世界で最もパワフルな100人の坊主男』の1人として紹介された。

 

アイブの洗練されたミニマリストの容姿は、ハロウィーンの衣装やグルーミングレジメン、一部のファッション業界に影響を与えている。

『GQ』誌の企画『世界で最もパワフルな100人の坊主男』で15位にランクインしたアイブ。
『GQ』誌の企画『世界で最もパワフルな100人の坊主男』で15位にランクインしたアイブ。

アイブのデザイン思想


アイブは1961年から1995年までブラウンのチーフ・デザイナーだったディーター・ラムスのデザインや原理に影響を受けている。

 

ゲーリー・ハストウィット監督によるドキュメンタリー映画『Objectified』でラムスは、今日においてアップルは10のグッドデザインの原則に沿って製品をデザインしている1人握りの会社であると話している。

 

アイブはまた、1920年代にドイツで栄えた芸術運動バウハウスの伝統からも影響を受けていると話している。バウハウスはナチス勃興期に閉鎖されたが、1950年代になって復活し、ドイツのウルム造形大学におけるデザイン学の基礎となった。

 

バウハウス/ウルムデザイン様式は1980年代にアウディに採用され、ジョナサン・アイブのデザイン(特にアップルでの仕事)に影響を与えた。

プライベート


アイブがスタッフォードにあるウォルトン高校付属中等学校に通っている1987年に、将来の妻でイギリスの作家、歴史家となるヘザー・ペッグ・アイブと出会った。

 

アイブとペッグには2人の子どもがいる。家族は現在カリフォルニア州サンフランシスコ近郊の高級住宅街パシフィック・ハイツで暮らしている。二人の自宅は2014年に1700万ドルで販売されていた。

 

アイブはサンフランシスコから車で1時間半の場所にあるクパチーノのアップル本社に毎日勤務している。ひと目を避けたプライバシー的なホームライフを送っていることで知られており、アイブ定期的にプライベートが表沙汰になることを疎んでいる。

 

2014年にアップル本社での自身の仕事が低水準になった場合は、会社の代わりに自宅で自身と友人たちと仕事をすることになるだろうと話している。

自動車趣味


イギリス時代の幼少期からアイブは自動車や自動車のデザインに大変な関心があった。大学在学中にアイブはフィアット500を運転していた。

 

アイブはよくグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのような自動車展示会に参加し、そこでコンベンションの審査員を努めることもある。

 

報告によればアイブが好む自動車は、アストンマーティン、ベントレー、ランドローバー・レンジローバーなどすべてイギリス製だったという。

 

また、アイブは各アストンマーティン・DB4、アストンマーティン・DB9、アストンマーティン・ヴァンキッシュ、ベントレー・ブルックランズ、ベントレー・ミュルザンヌ (2010)、ランドローバー・ディスカバリー、ロールス・ロイス・シルヴァークラウドなど好きなメーカーの多種多様な自動車を所有している。

慈善事業


アイブは慈善目的でチャリティオークション出品用のライカのカメラ「Leica M for (RED)」の製品デザインもしている。

 

産業デザイナーのマーク・ニューソンとのコラボレーションで2013年11月23日のニューヨークのサザビーズのオークションで出品された。このカメラはサザビーズのオークション価格で世界記録となり、180万5000ドル (約1億8280万円)で落札された。

 

売上金は世界エイズ・結核・マラリア対策基金に募金されたという。

チャリティ用にアイブがデザインに参加したライカカメラ。engadetより。
チャリティ用にアイブがデザインに参加したライカカメラ。engadetより。

受賞歴


2007年7月18日、2007年度のクーパー・ヒューイット国立デザイン博物館ナショナル・デザイン・アワード生産デザイン部門賞を受賞。

 

2008年1月11日 、『デイリー・テレグラフ』はアイブをアメリカ合衆国に住む最も影響力のある英国人として評している。

 

2008年7月、MDA Personal Achievement賞を受賞。

 

2000年には母校のノーザンブリア大学から名誉学位を贈られている。

2009年5月には、ロードアイランド・デザイン学校の名誉博士号を贈られた。