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【人物解説】ビル・ゲイツ「マイクロソフト創設者でWindows設計者」

ビル・ゲイツ / Bill Gates

マイクロソフト創設者でWindows設計者


2018年5月のビル・ゲイツ。Wikipediaより。
2018年5月のビル・ゲイツ。Wikipediaより。

概要


生年月日 1955年10月28日
国籍 アメリカ
居住地 ワシントン州メダイナ
職業 大物実業家、投資家、著述家、プログラマー、慈善家、博愛主義者、人道主義者
職歴

・マイクロソフト(主要創設者、CEO、会長、チーフ・ソフトウェア設計者、テクノロジー・アドバイザー)

・ビル&メリンダ・ゲイツ財団(共同会長)

・カスケード・インベストメント(CEO、会長)

・コービス(会長)

・テラパワー(会長)

・バークシャー・ハサウェイ(取締役会員)

資産

1000億ドル(2019年4月)

配偶者

メリンダ・ゲイツ

子ども

3人

両親

・ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世(父)

・マリー・マクスウェル・ゲイツ(母)

公式サイト

https://www.gatesnotes.com/

Youtube

ウィリアム・ヘンリー・"ビル"・ゲイツ3世(1995年10月28日生まれ)はアメリカの情報技術ビジネスに関する大物実業家、投資家、著述家、プログラマー、慈善活動家、博愛主義者、人道主義者。マイクロソフト・コーポレーションの主要共同設立者、およびWindowsを開発した人物としてよく知られている。

 

1975年、ゲイツとポール・アレンはマイクロソフトを設立し、世界で最も大きなPCソフトウェア会社となる。ゲイツは2001年1月に辞任するまでCEOとして会社を引率していたが、同時に会長職やチーフ・ソフトウェア設計者を歴任していた。また同時に2014年5月まで同社の最大の個人株主だった。

 

2006年6月、ゲイツはこれまでのマイクロソフトでのフルタイム勤務からパートタイム、および2000年に設立した私的慈善財団のビル&メリンダ・ゲイツ財団でのフルタイム勤務へ移行することを発表。ゲイツは徐々にレイ・オジーやクレイグ・マンディに自身の職務の引き継ぎを行う。

 

2014年2月にはマイクロソフト会長を辞任し、新任のCEOサティア・ナデラをサポートするための技術顧問として新しいポストに就くことになった。

 

1987年以来、ゲイツはアメリカの経済誌『フォーブス』の世界長者番付にランクインしており、1995年から2017年の間で18回、世界一の億万長者を達成している。しかし、総資産において2017年7月27日、および2017年10月27日以降はAmazon創設者でCEOのジェフ・ベゾスにその座を譲っている。2018年8月6日時点のゲイツの純資産は945億ドルで、現在はベゾスに次いで世界第2位の金持ちとみなされている。

 

ゲイツは反競争的行動であると見なされてきたビジネス戦略について特にヨーロッパから批判されており、多数の裁判の判決によってこの批判は支持されている。

 

マイクロソフトを辞任してからのゲイツは多大な社会貢献の努力を追求している。ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通してさまざまな慈善団体や科学研究プログラムに多額の資金を寄付してきた。

 

2009年にゲイツとウォーレン・バフェットは寄付啓蒙活動ギビング・プレッジを設立し、彼らやほかの億万長者たちは少なくとも自身の資産の半分を慈善事業に寄付することを宣誓した。財団は命を救い、世界の健康を改善するために活動し、またポリオ(急性灰白髄炎)を除去するために国際ロータリーと協力している。

重要ポイント

  • WindowsOSで一般家庭にPCを普及させた
  • 世界一の富豪であり総資産は約1兆ドル
  • ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通して大規模な寄付を行う慈善家でもある

略歴


幼少期


ビル・ゲイツは1955年10月28日ワシントン州シアトルで、父ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世(1925年生まれ)と母メアリー・マクスウェル・ゲイツの間に生まれた。

 

ゲイツの祖先はドイツ人、イギリス人、アイルランド人、スコット系アイルランド人がなど多様な人種で構成されている。

 

ゲイツの父親は有名な弁護士で、母は銀行持株会社ファースト・インターステート・バンクシステムや非営利団体ユナイテッド・ウェイ・オブ・アメリカの取締役会員だった。なお、ゲイツの母方の祖父は元国立銀行総裁J.W.マックスウェルである。

 

ゲイツには1人の姉(クリスティアンヌ)と1人の妹(リビー)がいる。ゲイツの父は名前の接尾に「Ⅱ」が付いているため、ゲイツはウィリアム・ゲイツ Ⅲもしくは「trey(3の意味)」と呼ばれることがある。

 

ゲイツの一家はシアトルのサンドポイント地区の家に住んでいたが、ゲイツが7歳のとき、家はめったにない竜巻に巻き込まれ大被害を受けたことがある。

 

幼少期の早くから両親はゲイツを法律関係の道へすすめようとしていた。また、幼少のころ、ゲイツは家族とともに定期的に「会衆派教会」のキリスト教会の合同教会というプロテスタントの教会へ通っていた。

 

ゲイツ一家はあらゆる点で「競走性」を重視していた。ある人は「心の問題なのか、ピックボールの問題なのか、水泳の問題なのかは関係なく、ゲイツ一家ではいつも「勝つ」と報酬を与え「負ける」とペナルティを与えるという習慣があった」と話している。

レイクサイド・スクール時代


13歳のときゲイツは私立校のレイクサイド中学・高校に入学し、このときに初めてソフトウェアのプログラミングに触る。

 

ゲイツが8年生のとき、学校のマザーズクラブはレイクサイド学校のバザーで得た利益で、学生のためにテレタイプ製のコンピュータ端末装置ASR-33やゼネラル・エレクトリック(GE)コンピュータGE-635を導入し、学生たちにコンピュータを学ぶ時間を作った。

 

ゲイツはBASIC言語のGEシステムのプログラミングに興味を持ち、コンピュータへの関心を深めるため数学の授業が免除された。

 

ゲイツはこのマシンを利用した最初のコンピュータ・プログラミングに関して以下のように書いている。「三目並べゲームのプログラムを実装してユーザーがコンピュータとゲームで遊べるようになった。このマシンに感激し、私はいつもどのように完璧なソースコードを書くか考えていた」。

 

また、当時についてゲイツは「マシンには凛とした魅力的な何かが内在していた」と話している。

 

マザーズクラブからの支援金が途切れると、ゲイツとほかの生徒たちはDECのPDPミニコンピュータを内蔵したシステムに関心を持つ。彼らが対象としていたコンピュータ・システムの1つはコンピュータ・センター・コーポレーション(CCC)が所有するPDP-10だった。

 

4人のレイクサイド学生(ゲイツ、ポール・アレン、リック・ウェイランド、ケント・エバンス)は無料でコンピュータを利用できる方法を探した。4人の学生はコンピュータを使う時間と引き換えにCCCのソフトウェアでバグを発見する仕事を手伝うことになった。

 

ゲイツはCCCのオフィスに行ってFORTRANやLISPをはじめプログラミング言語でシステムを可動させているさまざまなソースコードを学んだ。ゲイツとCCCとの関係は会社が廃業した1970年まで続いた。

 

翌年、インフォメーション・サイエンス社は4人の学生を雇い、COBOL言語で給与計算プログラムを書くよう命じ、代わりに彼らにコンピュータの使用時間と使用料を提供した。

 

管理者がゲイツのプログラミングの才能に気づくと、ゲイツはクラスの生徒のスケジュールを管理するための学生情報システム・ソフトウェアのプログラミング作成を任される。ゲイツは自分が出席する授業にかわいい女の子をたくさん出席するようにコードを改造したことがあるという。

 

17歳でゲイツはインテル8008プロセッサを基盤にしたトラフィックカウンタを作るため、アレンと「Traf-O-Data」というベンチャー企業を設立する。

 

1972年、ビル・ゲイルはアメリカ下院議会で議会のペイジ(アシスタント)を務めた。

高校時代のビル・ゲイル。ScrapeTVより。
高校時代のビル・ゲイル。ScrapeTVより。

ハーバード大学時代


1973年にレイクサイド学校を卒業したゲイツはナショナル・メリット奨学生となる。ゲイツはスコラスティック適性検査(SAT)で1600点のうち1590点を出し、1973年にハーバード大学に入学。準法学を専攻していたが、数学と大学院レベルのコンピュータ・サイエンスコースを受講した。

 

ハーバード大学在学中、のちにマイクロソフトのCEOとなるスティーブ・バルマーと出会う。彼は学生寮の同じ部屋に住んでいた。2年後ゲイツはハーバードを退学するが、バルマーは留学して優秀な成績(第2位優等)で卒業する。数十年後、バルマーはゲイツからマイクロソフトのCEO職を引き継いだ。

 

大学の2年目、ゲイツは担当教授の1人であるハリー・ルイスの「組合わせ数学」の講義で、これまで学内で未解決問題だった1つの解決作として「パンケーキ整列」のアルゴリズムを考案して評価を上げる。このゲイツの解決策は30年以上もの間、最速の解決法として記録を保持した。

 

なお、ゲイツの解決策を上回った後継の方法はたった1%速いだけである。ゲイツの解決策は、のちにハーバード大学のコンピュータ科学者クリストス・パパディミトリウと共同で公式に論文化され出版された。

 

ゲイツはハーバード大在学中に明確な学習計画を立てず、校内のコンピュータを使うことに多くの時間を費やしてた。ワシントン州率大学に進学していたポール・アレンと高校卒業も連絡を取り合い、1974年の夏にゲイツはハネウェル社に入社することをアレンにすすめる。アレンは大学を中退してハネウェル社に入社してプログラマーとして勤務することになった。

 

在学時にAltair 8800がリリースされる。この新しいコンピュータはインテル8080 CPUをベースにしていたもので、ゲイツとアレンは二人はコンピュータ・ソフトウェア会社を設立する機会と直感し、ゲイツはハーバード大学を中退することを決める。

 

ゲイツは両親と退学と起業について話し合ったが、両親は息子の熱心な起業意欲を見て、退学することに同意したという。

マイクロソフトの設立


ゲイツは1975年1月発行の技術雑誌『ポピュラーエレクトロニクス』のAltair 8800の記事を読み、新しいマイクロコンピュータの開発者の「マイクロ・インストラメンテーション・アンド・テレメトリー・システム」(MITS)に連絡をとり、自分と知人がこのプラットフォームのBASICインタプリタに取り組んでいる途中であることを伝える。

 

しかし、実際のところ、ゲイツとアレンはAltairを所有しておらず、コードも書いていなかった。彼らは単にMITSに関心をもたれたくて連絡をとってみたが、MITS社長のエド・ロバーツはデモ試作に立ち会ってくれることを了承してくれたので、その後、数週間のうちにゲイツたちは急ぎミニコンピュータ上で動くAltairとBASICインタプリタを開発することになった。

 

アルバカーキにあるMITSのオフィスで開催したデモンストレーションは成功し、MITSとAltair BASICとしてインタープリターを配布する合意をかわすことになった。ポール・アレンはMITSに入社し、ゲイツは1975年11月にアルバカーキのMITSでアレンと仕事をするためハーバード大学に休学届を出した。

 

アレンは「Micro-Soft」(マイクロコンピュータとソフトウェアを組み合わせた造語)という社名を付け、最初のオフィスをアルバカーキに開いた。1年以内にハイフンは除去され、1976年11月26日に「Microsoft」という商号がニューメキシコ州長官室に登録された。その後、ゲイツは学業を修了させるためにハーバードに戻ることはなかった。

 

マイクロソフトのAltair BASICはコンピュータ・ホビイストに人気だったが、ゲイツは発売前のコピーがコミュニティに流出し、広く無断配布されていることを発見した。

 

1976年2月、ゲイツはMITSのニュースレターで「ホビイストたちへのオープンレター」というタイトルで、マイクロソフトのAltar BASICのユーザーの90%以上はマイクロソフトに支払いをしておらず、そのようなAltairの「ホビイスト市場」はプロの開発者たちが高品質なソフトウェアの作成、配布を保守する動機を喪失させる危険性があると主張。

 

このレターは多くのコンピュータ・ホビイストから不評だったが、ゲイツはソフト開発者は支払いを要求するべきであるという信念を強く主張した。

 

マイクロソフトは1976年末にMITSから独立し、さまざまなシステム用のプログラミング言語ソフトウェアを開発した。

 

1979年1月1日、同社はアルバカーキからワシントン州ベルビューの新しい社屋へ移る。

 

マイクロソフトの初期は、全就業員が会社の業務に関して責任を持っていた。ゲイツは仕事を細かく管理したが、自身でコードも書き続けていた。創業から5年で、ビル・ゲイツ自身の主張によれば、彼は会社が出荷したコードをすべて個人的にチェックし、自分の考えに合わせてコードを自身で書き直すことがあった。

1977年スピード違反で捕まったときのマグショット。
1977年スピード違反で捕まったときのマグショット。

IBM PCのオペレーションシステムを開発


IBMは1980年7月、ジョブズとウォズニアックが開発したパーソナルコンピュータ

「Apple Ⅱ」を見て、パーソナルコンピュータ市場へ本格参入することを決める。

 

短期に開発することを目指していたため、OSについては自社開発をあきらめ、既存のOSを採用・改良することにした。そこで、同社の次期パーソナルコンピュータである「IBM PC」に搭載するオペレーティング・システムに関する問題でマイクロソフトに連絡をする。

 

IBMは当初マイクロソフトがBASICインタープリターを作成することを提案していたが、IBMの担当者がオペレーティング・システム(OS)も必要であると話した。IBMにはコンピュータを動かすためのOSがなかったのため、ビル・ゲイツに協力してもらえるかどうか尋ねた。

 

しかし、当時のマイクロソフトにはIMBのハードウェアで動作するOSがなかったので、ゲイツは「CP/M」と呼ばれ、広く普及していたOSを開発している会社デジタル・リサーチ(DRI)を紹介した。DRIが作っていたOSはIBMが必要としていたものに相当近かった。

 

ところが、DRIとIBMの協議はうまくいかず交渉は決裂。ライセンス契約に達することができなかった。そこで、IBMの代表のジャック・サムは再びゲイツを訪ね、「CP/M」の代替になるOSを使いたいと相談した。

 

数週間後、ゲイツとアレンはシアトル・コンピュータ・プロダクツ(SCP)のティム・パターソンが「CP/M」によく似たOSの86-DOS(QDOS)というOSを作っていると知り、そのOSの使用をIBMに提案する。

 

IBMはゲイツの提案に承諾すると、その後、マイクロソフトはSCPと契約を交わして86-DOSの独占的なライセンス代理店となり、86-DOSのライセンスを取得する。それをIBM製PC用に改良して、PC-DOSと言う別名をつけた。これがいわゆるのちにPCのOSの主流となる「MS-DOS」のルーツである。86-DOSはのちに完全にマイクロソフトの所有となった。

 

PCにオペレーティング・システムを適合させたあと、50,000ドルの一括払いと引き換えにマイクロソフトは「PC DOS」という名前でIBMに納品した。

 

ゲイツはOSの著作権をIBMに譲渡することは断った。なぜなら他のハードウェア・ベンダーがIMBのシステムのクローンを作ると思っていたからである。そのとおり、のちにマイクロソフトのMS-DOSはコンピュータ業界における主要OSとなった

 

OS上にIBMの名前があるにもかかわらず、マスコミたちははすぐにIBMの新しいコンピュータに非常に影響を与えているのはマイクロソフトであると識別した。『PC Magazine』は『PCの背後の男』としてゲイツをとりあげ、また『InfoWorld』は「これはゲイツのコンピュータだ」と話している専門家の言葉を引用した。

 

ゲイツは1981年6月25日にマイクロソフトの会社再編を監督し、ワシントン州にある会社を再統合して、ゲイツはマイクロソフトの社長、および会長に就任した。

Windows


マイクロソフトは1985年11月20日に最初の「Microsoft Windows」シリーズを発売。GUIを有するOSだった。この時期には、既にGUIを有するMacintoshが販売されており、機能的にWindowsはMacintoshよりも見劣りするものであった。

 

翌年8月にマイクロソフトはIBMとOS/2と呼ばれる独立したOSを共同で開発することで合意した。新しいシステムの最初のバージョン1.0は成功したが、のちに方向性の違いが増していき関係は悪化。Ver.1.2のリリース後、マイクロソフトはWindowsの開発に注力することになり、以降はIBMのみの開発となった。

 

Windowsが実際に評価をたかめはじめたのは1990年のWindows3.0からである。そして、1995年に発売されたMicrosoft Windows 95で世界的なヒット商品となり、Macintoshと比肩しうるレベルに達した。

また一般家庭へのPCとインターネットの普及と連動して社会現象となり、一気に世界中の一般家庭にまで普及し、今日のPCのOSのシェアの9割を占めるに至った。

 

マイクロソフト初期のころのゲイツは同社のプログラミング言語による製品における直接的なソフトウェア開発者だったが、同社の歴史の大部分においてゲイツの基本的な役割は、おもに経営管理である。

 

1983年に発売されたTRS−80モデル100の開発を最後に、ゲイツは公式には開発チームに所属しておらず、監督と経営管理に務めていたが、1989年ころになっても自身でコードを一部書いていた。

 

2006年6月、ゲイツはこれまでのマイクロソフトでのフルタイム勤務からパートタイム、および2000年に設立した私的慈善財団のビル&メリンダ・ゲイツ財団でのフルタイム勤務へ移行することを発表。ゲイツは徐々にレイ・オジーやクレイグ・マンディに自身の職務の引き継ぎを行う。

マイクロソフト後


マイクロソフトのフルタイム労働をやめてから、ゲイツは慈善事業やほかのさまざまなプロジェクトに携わる。

 

ブルームバーグ億万長者インデックスによれば、ゲイツは2013年に世界最高の億万長者となり、その純資産額は以前より158億ドル増加しては785億ドルだという。2014年1月時には、ゲイツの資産の大部分はカスケード投資合同会社(フォーシーズンズホテル&リゾートやコービス社など多数の事業に出資している会社)が保有している。

 

2014年2月4日、ゲイツはマイクロソフト会長を辞任し、新CEOのサティア・ナデラの技術顧問となった。

 

ゲイツは2014年3月27日発行の『ローリング・ストーン』誌に掲載されたインタビューで、さまざま問題について見解を話している。特に、気候変動、彼の慈善事業、さまざまなハイテク企業とそれに関わる人々、アメリカの州に関して見解を述べている。

 

50年先を見据えた最大の恐怖に関する質問でゲイツは「今後50年から100年のうちに、本当に悪いことが起こるでしょう。ねがわくば、パンデミック、核、バイオテロリズムによる何百万という規模の死が起こらないことを祈っている」と話している。

 

ゲイツはまた、イノベーションを「進歩における真の推進力」と確証し、また「アメリカのイノベーションは今日において今までよりずっと優れている」と話した。

 

ゲイツは最近人工知能・超知能の実存的脅威について以下のような懸念を表明している。

 

「まず、機械は私たちのために多くの仕事をしてくれるでしょうがそれは超知能(スーパーインテリジェンス)ではありません。機械はうまく管理することで人類にとってプラスになるはずです。けれども数十年後、超知能は心配になるほど強力になるかもしれません。イーロン・マスクやほかの何人かについてこの点について同しますが、なぜ心配しない人々がいるのか理解できません」。

 

2015年3月、百度のCEOのロビン・リーとのインタビューでゲイツがニック・ボストロムの最近の著書『スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運』を強く推奨した。

 

2018年3月、ゲイツはシアトルでサウジアラビアの改革はの応じと事実上の支配であるムハンマド・ビン・サルマーンと会合し、サウジビジョン2030の投資に関して議論を行った。

2017年、ジェームズ・マチス国防長官と会合するゲイツ。
2017年、ジェームズ・マチス国防長官と会合するゲイツ。

ゲイツが関わっている外部事業や投資


ゲイツの世界的評価と受賞歴


1987年、ゲイツは『フォーブス』誌の「アメリカで最も裕福な人々400」ランキングに登場。当時、12億5000万ドルの資産で世界で最も若い自力で出世した億万長者だった。

 

1987年以来、ゲイツは『フォーブス』誌の「世界の富豪ランキング」特集に何度も掲載されている。これまで1995年、1996年、1998年から2007年、2009年、2014年から2017年は第一位となった。

 

『タイム』誌は『タイム100:20世紀における最も重要な人物100人』特集でゲイツを紹介。また年に1度特集される「最も影響力のある人々100人』では2004年、2005年、2006年でランクインしている。

 

『Time』はまた2005年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」で人道的貢献した人物として、ゲイツと妻メリンダ、そしてU"のリードシンガーのボノを共同で紹介した。2006年にゲイツは「私たちの時代のヒーロー」特集で8位にランクイン。

 

そのほかには、1999年に『サンデー・タイムズ』誌の権力者リストに選ばれている。1994年には『最高経営責任者』誌でその年の最高経営責任者として選ばれている。1998年には『タイム』誌の「サイバーエリートトップ50』特集では1位に選ばれている。1999年の『アップサイド・エリート100』では2位に選ばれている。2001年の『ガーディアン』紙による「メディアにおいて影響力のある人物100』の1人として選ばれている。

 

『フォーブス』誌によれば、ゲイツは2012年に世界で4番目の有力者として選ばれ、2011年の5番目から上昇した。

 

1994年にゲイツは「英国コンピュータ学会の名誉ある研究員」で20人目の名誉賞を受賞。1999年にニューヨーク工科大学の大統領自由勲章を受賞、またゲイツはNyenrodeビジネス大学、スウェーデン王立工科大学、早稲田大学、清華大学、ハーバード大学、カロリンスカ研究所。ケンブリッジ大学から名誉博士号を受賞。2007年には北京大学の名誉理事になった。

 

2005年にクイーン・エリザベス2世から大英帝国勲章を受賞。2006年11月に健康と教育の分野における世界中の慈善事業の両方で妻のメリンダとともにアステカワシ勲章を受章。

 

2010年にはベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)から、ゲイツのマイクロソフトでの業績と慈善事業を讃えてリーダーシップ賞を受賞。また、2010年にアメリカ・ボーイスカウトからシルバー・バッファロー賞を受賞。

 

2002年にビルとメリンダはジェファーソン賞を受賞。2006年にテックアワードからジェームズ・C・モルガン・グローバル・人道賞を受賞。2015年、ゲイツはメリンダとともにインドのソーシャルワークで3番めに高い市民賞であるパダマ・ブシャンを受賞。

 

2016年、バラク・オバマは慈善事業の取り組みに対して、ゲイツ夫妻に大統領勲章を授与。翌年、フランソワ・オランドはゲイツ夫妻にフランスで最も名誉ある賞であるレジオン賞を彼らの慈善事業に対して授与した。

 

1997年に昆虫学者は彼の名誉をたたえてコスタリカの高山に生息するハナアブの一種に「ビルゲイツハナアブ」という名前を献名した。

メディア


書籍


ゲイツは2冊の書籍を書いている。

『ビル・ゲイツ未来を語る』

ビル・ゲイツ  (著), 西 和彦 (翻訳)

原題は『The Road Ahead』。1995年10月刊行。パーソナルコンピューティング革命の影響を要約し、グローバル・インフォメーション・スーパーハイウェイの到来によって大きく変わる未来を説明している。


『思考スピードの経営』

ビル・ゲイツ  (著), 大原 進 (翻訳)

原題は『Business @ the Speed of Thought』。1999年3月刊行。ビジネスとテクノロジーがどのように統合され、デジタルインフラと情報ネットワークが競争上の優位性を獲得するのにどのように役立つかを説明している。


慈善事業


ビル&メリンダ・ゲイツ財団


ゲイツはアメリカの億万長者の先駆者であるアンドリュー・カーネギーやジョン・D・ロックフェラーの生涯や仕事を研究し、1994年にマイクロソフトの株を一部寄贈して「ウィリアム・H・ゲイツ財団」を設立する。

 

2000年にゲイツと彼の妻は3つの家庭財団を結合させ、慈善団体「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」の創設に50億ドル相当の株を寄付した。この財団は2013年にNGOサポートファンドから世界で最も巨大な慈善団体として認定され、資産額は346億ドルを超えると報告されている。

 

ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、ウェルカム・トラストのようなほかの主要な慈善団体と異なり、支援者が寄付したお金がどのようにして使われたかを知ることができた。

 

また、ゲイツは財団を通じて2009年にオープンした「コンピュータ・サイエンス・ゲイツ・センター」と呼ばれる新しい建物のために、カーネギー・メロン大学に2000万ドル寄付した。

 

ゲイツはデビッド・ロックフェラーの寛大さと広範囲にわたる慈善事業に大きな影響力を受けている。ゲイツと彼の父はロックフェラーに数回会ったことあり、彼らの慈善活動はロックフェラー・ファミリーの慈善活動を一部モデルにしており、彼らは政府や他の組織が無視している地球規模の問題に取り組むことに関心がある。

 

2007年の時点で、ビルとメリンダ・ゲイツはアメリカで2番目に寛大な慈善家で、280億ドル以上の慈善団体に寄付した。二人は最終的には資産の95%を慈善団体に寄付するつもりだという。

 

2007年の時点で、ビルとメリンダ・ゲイツはアメリカで2番目に寛大な慈善家で、280億ドル以上の慈善団体に寄付した。二人は最終的には資産の95%を慈善団体に寄付するつもりだという。

 

財団は4つのプログラム分野で構成されている。グローバル開発部、グローバルヘルス部、アメリカ合衆国部、グローバル政策&提唱部である。財団は農業開発における遺伝子組換え生物の利用を支持している。具体的にはビタミンAの欠乏を克服するために使用される遺伝子組み換えライス「ゴールデンライス」の開発において、国際ライス研究所を支援している。

 

メリンダ・ゲイツは、ケビン・サルウェンの著書『The Power of Half』に記述されているように家を売却し、資産の半分を譲った人々はサルウェン家の慈善活動を手本すべきと提案した。

 

ゲイツと彼の妻はジョン・サルウェンをシアトルに招き家族がおこなった慈善行為に関する会談をおこなったあと、2010年12月9日にビルとメリンダ・ゲイツ、そして投資家のウォーレン・バフェットら3人は、ゆくゆくは自身の資産の少なくとも半分は慈善団体に寄付することを誓う「ギビング・プレッジ」に署名をした。

ゲイツとメリンダ。2009年。
ゲイツとメリンダ。2009年。

個人的寄付


 ゲイツはまた教育機関に個人的な寄付を行っている。1999年に建築家フランク・ゲーリーが設計した「ウィリアム・H・ゲイツ・ビルディング」と名付けられたコンピュータ研究室の建設のためにマサチューセッツ工科大学に2000万ドルの寄付をした。マイクロソフトはこれまでもマサチューセッツ工科大学に財政支援をしてきたが、今回はゲイツが個人的に寄付したものだった。

 

ハーバード・ジョン・A・ポールソン工学部応用科学科の「マックスウェル・ドウォーキン研究室」は、ゲイツとマイクロソフトの社長スティーブン・バルマーの両方の母親にちなんで名付けられ、また研究室の設立費を寄付した。

 

また、ゲイツは1996年1月にスタンフォード大学のキャンパスに完成した「ゲイツ・コンピュータ・サイエンス・ビルディング」の建設に600万ドルの寄付をしている。この施設内にはスタンフォード大学の工学部のコンピュータ・サイエンス部とコンピュータシステム研究室(CSL)がある。

 

2014年8月15日、ビル・ゲイツはフェイスブックにアイス・バケツ・チャレンジに挑戦している自身の動画を投稿した。Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグが筋萎縮性側索硬化症への認識高めるためアイス・バケツ・チャレンジに挑戦したのをみて、自身も挑戦したという。

アイス・バケツ・チャレンジに挑戦するゲイツ。

 

2005年ころから、ビル・ゲイツと彼の財団は世界規模の衛生問題の解決に関心を寄せてきた。たとえば、メディアからかなり関心をもたれている「Reinventing the Toilet Challenge」がある。衛生問題とその解決への意識を高めるため、ゲイツは2014年に"人間の糞からつくられた"水を飲んだ。これは、オムニ・プロセッサという下水汚泥処理装置を使って生産されたものである。

オムニ・プロセッサで作った水を飲むゲイツ。

2015年初頭、ゲイツはジミー・ファロン司会の『ザ・トゥナイト・ショー』に出演し、この再生水とボトル入りの水の違いを味わえるか挑戦した

2017年11月、ゲイツはアルツハイマー病の治療を研究するベンチャーキャピタルの「認知症発見基金」に5000万ドルを寄付すると発表した。さらに、アルツハイマー病の研究に従事している新興ベンチャーにさらに5000万ドルの寄付をすることを誓約した。

 

ビルとメリンダ・ゲイツは3人の子どもにそれぞれ1000万ドルを相続財産として残す予定があると話している。つまり、家族にはたった3000万ドルしか預けることがなく、夫婦の富の約99.96%が寄付やほかのひとへ譲渡されることになると見られている。

 

2018年8月25日、ゲイツはインドのケララ州で洪水の被害を受けた犠牲者を支援しているユニセフを経由して彼のメリンダ・アンド・ゲイツ財団を通して60万ドル寄付した。

プライベート


ゲイツは1994年1月1日、ハワイ州ラナイ島のゴルフコースでメリンダ・フレンジと結婚。2人には3人の子どもがいる。家族はワシントン州メディナのワシントン湖を眺望できる丘の側にあるアースシェルター付きマンション、ビル・ゲイツ・ハウス「Xanadu 2.0」で暮らしている。

 

2007年のキング郡の公的記録によれば、土地と家屋の合計評価額は1億2500万ドルで、年間固定資産税は9万900ドルだという。

 

66,000平方フィート(6,100㎡)の敷地内には、水中音楽システムが搭載したスイミングプールや2,500平方フィート(230㎡)のジムと1,000平方フィート(93㎡)のダイニングルームがある。

『ローリング・ストーン』誌のインタビューによれば、ゲイツは自身の信仰に関して「宗教による道徳的システムは非常に重要である。私たちは子どもたちを宗教的な方法で育てた。子どもたちはメリンダが通うカトリック教会に行き、私も参加している。私は子ども時代にとても恵まれた環境に育ったので、世界の不公平を減らそうと慈善事業に努めています。それは宗教的概念であり、また道徳的概念でsy」と話している。

 

また、同誌インタビューで「私は人類が創造神話の必要性を感じて宗教を作ったというリチャード・ドーキンスのような人たちの説に同意している。私たちが病気や天候などを理解するように名前、私たちはそれらについて誤った説明をした。現在、科学は宗教が説明していた領域の多くを説明しているがすべてというわけではない。世界の謎や美しは圧倒的に驚くべきもので、それがどのように起こったのか科学的な説明はない。神を信じることは納得いく話だが、神を信じることで自身の人生における決断がどう異なるのかは、私は知らない」と話している。

 

ゲイツは1994年に開催されたオークションでレオナルド・ダ・ヴィンチの科学書コレクションである『Codex Leicester』を3,080万ドルで購入した。

ゲイツはかなりの読書家で、彼の巨大な家庭内図書館の天井には『グレート・ギャツビー』から引用文が刻まれている。またブリッジやテニスやゴルフが趣味だという。

 

ゲイツの一日はアメリカ大統領のスケジュールと同様に、分ごとに立てられている。

ゲイツの資産


1999年にゲイツの資産は1010億ドルを突破。富と大規模なビジネストラベルにも関わらず、プライベートジェット機を購入するまでゲイツは1997年まで民間航空機で移動していた。

 

2000年以降、ドットコムバブル崩壊後のマイクロソフトの株価下落、および慈善団体への数十億ドルの寄付により、マイクロソフトが保有する名目価値は下落した。

 

2006年5月のインタビューで、ゲイツは人から注目を集めるのが嫌だったので世界で最も裕福な男ではないほうがいいとコメントした。

 

2010年3月、ゲイツはカルロス・スリム・ヘルに次いで世界で2番目に裕福な人物となったが、ブルームバーグ・ビリオネアリストによれば、2013年にトップに返り咲いた。しかし、2014年にスリムも再びトップに返り咲いた。

 

2009年から2013年まで、ゲイツの資産は400億ドルから820億ドルまで倍増した。2017年10月以来、ゲイツはAmazon.com創設者のジェフ・ベゾスに追い抜かれて世界で2番目に裕福な人物となった。

 

BBCのインタビューで「わたしはこれまでに比べて誰よりも多くの税金を払った。60億ドルを超える税金を払った」と話している。